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東尾張の旅          犬山・明治村

犬山城
いぬやまじょう
愛知県犬山市犬山北古券65−2
Tel 0568-61-1711


 木曽川の南岸にそびえ立つ犬山城は、文明元年(1469)室町幕府管領、斯波義郷の家臣、織田広近が築いたといわれています。初め木曽川に沿った台地にありましたが、天文6年(1537)現在の位置に天守が造営され、織田与次郎信康が城主となりました。
 信康の子信清のとき織田信長に攻められ落城しました。その後、池田信輝、野田信房と城主を代え、天正10年(1582)信長の死後、織田信雄の属城となりました。
 文禄4年(1595)、石川光吉が入り城を改修し、天守を造りましたが関ケ原の戦いで西軍に属したため、犬山城は東軍に攻略されました。関ヶ原の合戦の後、松平忠吉が清洲城に入ると犬山城はその属城となり、小笠原吉次が城代として入りました。
 元和3年(1617)、 慶長12年(1607)に城主になった平岩親吉が没した後の6年間の城主空白期間を経て、尾張藩付家老の成瀬正成が城主になりました。天守に唐破風出窓が増築され、以後明治まで成瀬家9代の居城となりました。
 別名「白帝城(はくていじょう)」と呼ばれる桃山風の美しい天守閣は、日本最古といわれ、国宝に指定されています。また、日本で唯一の個人所有の城としても有名です。最上階は、現在展望台になっており、ここからは、木曽御岳や恵那山、広大な濃尾平野を一望することができます。



針綱神社
はりつなじんじゃ
愛知県犬山市北古券65ー1
Tel 0568-61-0180


 犬山城の登城入り口近くにある針綱神社は平安時代中期に編集された「延喜式」に名が記されている由緒ある神社です。以前は、現在の犬山城の地に鎮座していて、太古より東海鎮護、水産拓殖、五穀 豊饒、厄除、安産、長命の神として「白山大明神」と崇められ濃尾の総鎮守でした。
 織田信長の叔父に当たる織田信康が犬山の木ノ下城主の時、奥方が懐妊された際に信康自ら手彫りの狛犬一対を奉納して安産祈願しました。それ以来「安産の神社」として有名になりました。戌の日に安産祈願すると元気の良い子供が生まれるといわれています。 



三光稲荷神社
さんこういなりじんじゃ
愛知県犬山市犬山北古券41−1
Tel 0568-61-0702


 三光稲荷神社は、城山の麓に位置する、歴史ある神社です。現在は犬山城、松の丸跡に鎮座しています。以前は犬山城の北へ一キロの距離にある三光寺山に建てられていたと思われます。
 神社の前には朱の鳥居が建ち、染幟が林立しています。古きより織田信長の叔父織田信康の崇敬が殊に厚く、犬山城主成瀬家歴代の守護神でもありました。家内安全・商売繁盛・土地家屋清祓い・交通安全・夫婦和合・縁結びなどにご利益があるそうです。



寂光院
じゃっこういん
愛知県犬山市継鹿尾杉ノ段12
Tel 0568-61-0035


 寂光院は真言宗智山派のお寺で、正式には継鹿尾山(つがおさん)八葉蓮台寺(はちょうれんだいじ)寂光院といいます。創建は古く白雉(はくち)5年(654)で、尾張最古の厄除けの千手観音霊場(尾張三十三観音霊場の20番札所)です。
 境内地は10万坪の広さを誇り、四季折々の美しさは県下屈指といわれ、特に春の山桜・秋の紅葉が見事で「もみじでら」とも呼ばれています。本堂の脇にある展望台からは犬山城、小牧城、名古屋市街が見渡せます。
 奈良元興寺の道昭和尚が白雉5年(654)、孝徳天皇の勅願により寂光院の七堂伽藍を建立したといわれています。道昭和尚は入唐僧で、三蔵法師玄奘より法相(ほっそう)教学を学びました。当時、寂光院も法相宗の学問寺として「尾張に継鹿尾山あり」と謳われました。
 永禄8年(1565)、織田信長が柴田勝家を伴って参詣し、寂光院を清州城の鬼門鎮護の寺と定め、黒印50石、山林50町歩(15万坪)を寄進しました。この時から真言宗の寺となりました。
 寂光院の本堂・随求堂・山門・弁天堂は国登録文化財に指定されています。また、本尊千手観音二十八部衆画像・開山道昭画像・中興織田信長公画像・継鹿尾山図(吉田初三郎作・鳥瞰図は犬山市の文化財に指定されています。




旧西郷従道住宅
きゅうさいごうつぐみちじゅうたく
愛知県犬山市大字内山1 明治村
旧所在地 東京都目黒区上目黒


 旧西郷従道住宅は木造総2階建、銅板葺きで、建築面積253.2平方m、明治10年代(1877-1886)のはじめに建てられた洋館です。従道は西郷隆盛の15歳年下の弟で、明治期に大臣や陸軍卿・海軍大将・元帥などを歴任した政治家・軍人でした。
 建物の耐震に関する研究者で日本にいたフランス人建築技術者のレスカスの設計と考えられています。半円形に張り出されたベランダ、上下階の手するなど本格的なヨーロッパ様式の建物で、耐震性を高めるための工夫もなされています。
 内部に展示されている調度品の多くは鹿鳴館や赤坂離宮で使用されたもので、ほとんどがフランスから輸入されました。2階各室にはフランス窓と呼ばれる丈の高い窓が付けられています。天井には鉄板を押して整形したものが張られています。
 昭和39年(1964)に西郷山から犬山の明治村に移築されました。それ以前は国鉄スワローズの選手宿舎として使われたそうです。昭和40年(1965)に国の重要文化財に指定されています。



旧呉服座
きゅうくれはざ
愛知県犬山市大字内山1 明治村
旧所在地 大阪府池田市西本町


 旧呉服座は舞台、花道、平場、桟敷、楽屋などからなる木造2階建の芝居小屋です。明治初年池田市の戎神社の近くに建てられ、戎座と呼ばれていましたが、明治25年(1892)に同市内の西本町猪名川の川岸に移され、名前も呉服座と改められました。
 桁行25.7m、梁間14.3m、一部2階建て、切妻造り、妻入、正面及び側面庇付、杉皮葺く、木戸廻り側面及び舞台廻り側面突出部附属しています。明治25年(1892)に建てられたもので、昭和59年(1984)に国の重要文化財に指定されています。
 舞台、客席部分には大きな切妻屋根を架け、その前に軒の高い下屋を降ろして、小屋の入口にしています。正面の高い切妻には太鼓櫓を突き出し、入口下屋の軒下には絵看板を掲げています。正面の壁は黒漆喰塗で、腰には和風の下見板が建て込まれています。
 奈落は舞台の袖から降りて、廻り舞台の下を通り抜け、花道づたいに入口近くの楽屋の下まで達しています。廻り舞台は、円周に沿って取り付けられた車と中心軸とで支えられています。客席は、平場と呼ばれ、桝席に区切られている中央の低い部分と、棧敷と呼ばれる廻りの部分から成り立っています。



旧山梨県東山梨郡役所
きゅうやまなしけんひがしやまなしぐんやくしょ
愛知県犬山市大字内山1 明治村
旧所在地 山梨県山梨市日下部町


 旧山梨県東山梨郡役所は明治18年(1885)新庁舎として東山梨郡日下部村に建てられた建物です。明治前期に各地方に建設された郡役所に共通する典型的な木造の洋風建築です。
 建築面積286.4平方mで、木造2階建、両翼1階建、桟瓦葺きの建物です。中央部分が2階建、左右翼屋が平家建になっているため屋根が複雑に架けられています。
 正面側にベランダを廻らせ、正面に菊の御紋を置き、中央棟と左右翼屋で構成しています。この形式は、旧三重県庁舎と同様、内務省に代表される当時の官庁建築の特徴です。
 この建物は地元の日下部地方の大工が施工しましたが、西洋風の形をとりながらも、日本の伝統的手法で造られています。大正12年(1923)、郡役所が廃止されてからは日下部警察署として使われました。昭和41年(1966)に国の重要文化財に指定されています。



旧日本聖公会京都聖約翰教会堂
きゅうにっぽんせいこうかいきょうとせいよはねきょうかいどう
愛知県犬山市大字内山1 明治村
旧所在地 京都市下京区河原町五条


 旧日本聖公会京都聖約翰教会堂は旧聖ヨハネヘ会堂として知られ、明治40年(1907)に建設されました。設計したのはアメリカ人のJ・M・ガーディナーです。ハーバード大学で建築を学び、明治13年(1880)来日し、立教学校の校長として教育宣教に当たる一方、建築家としても立教大学校校舎、明治学院ヘボン館などを手掛けました。
 中世ヨーロッパのロマネスク様式を基調に、細部にゴシックのデザインを交えた外観で、正面左右に高い尖塔が建てられ、奥に十字形大屋根がかかる会堂が配されています。
 2階建で、1階は煉瓦造り、2階は木造で建築面積357平方m、屋根は鉄板葺きでしたが、移築した時に銅板葺きに改めらています。2階会堂内部は十字形平面で、礼拝堂でした。1階は幼稚園になっていたそうです。
 正面の妻と交差廊の両妻には大きな尖塔アーチの窓が開けられています。アーチ形の方杖と鉄筋を巧みに生かした独特な小屋組みで、骨組みが細く、広く感じさせます。天井の竹の簾も明るい窓の光を反射させ、開放感を出しています。
 赤煉瓦の1階にたいし、2階は白壁と茶色の柱になっています。正面両端の尖塔とともに色彩・形状ともに美しい建物です。旧聖ヨハネヘ会堂は昭和39年(1964)に明治村に移され、翌年、国の重要文化財に指定されています。



旧札幌電話交換局舎
きゅうさっぽろでんわこうかんきょくしゃ
愛知県犬山市大字内山1 明治村
旧所在地 北海道札幌市大通


 旧札幌電話交換局舎は明治31年(1898)に建立され、翌年から電話の交換業務を開始しました。明治9年(1876)、アメリカ人のベルが有線電話の実用化に成功し、翌年、日本にも紹介され、明治23年(1890)に東京と横浜で電話交換業務が始まっていました。
 石造り2階建て、桟瓦葺きで、建築面積は131.7平方mです。当時の交換機は非常に高価だったので火災や地震から守るために石材を用いて建てられました。西洋風の石積みの外壁に日本の瓦という和洋折衷の建物です。
 明治43年(1910)に逓信技師の吉川茂則の設計で大増築され、札幌中央郵便局として使用されました。新中央郵便局の落成により民間に払い下げられ、昭和37年(1962)に明治村に寄贈されました。昭和43年(1968)に国の重要文化財に指定されています。



旧三重県庁舎
きゅうみえけんけんちょうしゃ
愛知県犬山市大字内山1 明治村
旧所在地 三重県津市栄町


 旧三重県庁舎は、明治9年(1876)、三重県令(知事)岩村定高によって計画され、県土木掛の清水義八が設計し、3年後の明治12年(1879)に完成した建物です。昭和39年(1964)に新庁舍が落成し、旧庁舍は明治村に寄贈され、昭和41年(1966)に移築復元されました。
 木造2階建、桟瓦葺きで建築面積は883.3平方mです。間口が54mに及ぶ大きな建物で迫力があります。玄関を軸に左右対称になっていて、正面側には2層のベランダが廻らされています。内外とも柱を見せない漆喰塗大壁で、屋根は桟瓦が使われています。
 正面に突き出した車寄の屋根には手摺をつけ、入母屋屋根の破風には菊花紋章を飾っています。両翼の正面側の壁面角には黒漆喰で太い柱型を塗り出しています。出入口や窓には、半円アーチや円弧アーチの形が使われ洋風にまとめています。
 この建物の構成は当時の官庁建築の典型的なもので、明治9年(1876)に東京大手町に建てられた内務省庁舎を土台にしています。旧三重県庁舎は昭和43年(1968)に国の重要文化財に指定されています。



旧東松家住宅
きゅうとうまつけじゅうたく
愛知県犬山市大字内山1 明治村
旧所在地 名古屋市中村区船入町


 旧東松家住宅は油商の家で3階建です。江戸時代は3階建の建物を造ることは許されず、慶応3年(1867)一部地域、禁令が解かれました。しかし、大正8年(1919)に市街地建築物法により木造高層住宅が禁止されたため、3階建以上の木造住宅は50年ほどの間しか造られませんでした。
 この建物は塗屋造りという江戸時代以来の伝統工法で建てられています。江戸末期、平屋であった住宅を、明治28年(1895)後方へ曳家(ひきや)の上、2階の前半部を増築して現在の店構えを完成させ、明治34年(1901)、3階以上を増築したようです。
 間口が狭く奥行の深い典型的な町屋で、1階は通り土間があり、2階には露地にみたてた廊下、待合、原叟床風の床框や墨蹟窓などを備えた茶室が設けられています。昭和49年(1974)に国の重要文化財に指定されています。



旧伊勢郵便局舎(宇治山田郵便局舎)
きゅういせゆうびんきょくしゃ(うじやまだゆうびんきょくしゃ)
愛知県犬山市大字内山1 明治村
旧所在地 三重県伊勢市豊川町


 旧伊勢郵便局舎は山田郵便局(後の伊勢郵便局)舎として、宇治山田市の伊勢神宮外宮前に、明治42年(1909)に建設された建物です。昭和42年(1967)に新局舎が建設されたため、明治村に移築されました。
 木造平家建、銅板葺きで建築面積601.9平方mです。円形状の中央棟とその両脇にV字型に連なる東西翼屋から構成されています。外装はハーフティンバー様式で、漆喰塗と下見板張の壁が使いわけられ、欄間部分には漆喰塗のレリーフが施されています。
 窓には3段や4段の回転窓が付けられています。内部には「公衆溜」という円形のホールがあり、その周囲にはカウンターが廻らされています。明治時代の木造郵便局舎としては現存する唯一のものであり、平成11年(1999)に国の重要文化財に指定されています。



旧菅島燈台付属官舎
きゅうすがしまとうだいふぞくかんしゃ
愛知県犬山市大字内山1 明治村
旧所在地 三重県鳥羽市菅島町


 旧菅島燈台付属官舎は明治6年(1873)伊勢湾の入り口、鳥羽沖合の菅島に燈台とともに建てられました。煉瓦造り、1階建、桟瓦葺きで、建築面積119.3平方mです。
 設計は明治政府の燈台局に招聘されていたイギリス人技師ブラントンを主任とした外国人技術者です。煉瓦造りの壁に木造の洋小屋を載せて桟瓦を葺いています。出入り口は両開きのガラス扉に鎧戸を付け、窓は上ゲ下ゲ窓で鎧戸を備えています。
 建物に使われた赤煉瓦は渡鹿野島の瓦屋・竹内仙太郎が苦心の末に完成させたもので刻印が押されています。旧菅島燈台付属官舎は昭和43年(1968)に国の重要文化財に指定されています。青銅製日時計、菅島燈台地図も付指定されています。



旧品川燈台
きゅうしながわとうだい
愛知県犬山市大字内山1 明治村
旧所在地 東京湾品川沖第二台場


 旧品川燈台は、明治3年(1870)に東京湾品川沖の第二台場に建設された燈台です。昭和32年(1957)まで使用され、昭和39年(1964)、明治村に復元されました。草創期の燈台らしくこじんまりした小さな燈台です。
 燈台は煉瓦造りでしたが、鉄筋コンクリート造りに替え、旧部材の再用と記録により忠実に復元しています。円形燈台で、現存する最古の洋式灯台です。昭和43年(1968)に国の重要文化財に指定されています。
 江戸幕府、明治政府は燈台建設のための技術援助をフランス、イギリスに依頼し、東京湾沿岸の観音崎、野島崎、城ヶ島、品川の4つの洋式燈台ができました。品川燈台はヴェルニーを首長とするフランス人技術者の手によって完成しました。



明治村金沢監獄正門
めいじむらかなざわかんごくせいもん
愛知県犬山市大字内山1 明治村
旧所在地 石川県金沢市小立野


 明治村金沢監獄正門は昔の金沢監獄の正門です。明治の5大監獄(千葉、金沢、 奈良、長崎、鹿児島)の1つで、明治40年(1907)に建てられました。
 鉄筋コンクリート造りで、高さ5.4mの煉瓦壁に主門と脇門を開き、左右に2階建の看視塔が付いています。主門のアーチにはくさび形の石と煉瓦を交互に組み上げています。
 看視塔は煉瓦壁に、1、2階窓、高窓を開け、軒庇の四方中央に小さな半円形ペディメントを付け、銅板葺き寄棟屋根に棟飾りをつけています。平成16年(2004)に国の登録文化財に指定されています。



明治村帝国ホテル中央玄関
めいじむらていこくほてるちゅうおうげんかん
愛知県犬山市大字内山1 明治村
旧所在地 東京都千代田区内幸町1


 明治村帝国ホテル中央玄関は大正12年(1923)に千代田区の日比谷公園前に建てられた建物です。帝国ホテルの竣工披露宴の日に関東大震災が起きました。多くの建物が倒壊しましたが、帝国ホテルはガラス1枚割れなかったそうです。
 昭和42年(1967)まで使用され、昭和60年(1985)に明治村に移築復元されました。明治の建物ではない帝国ホテルが明治村にあるのは、旧帝国ホテルの解体が決まった時、世界中から反対する大きな非難を受け、時の総理が明治村に保存すると発言したからだといわれています。
 有名なフランク・ロイド・ライトの設計で、車寄、ホワイエと両側のラウンジ、ロビーを保存しています。建築面積911平方mで、移築時に主構造をSRC造りと鉄骨鉄筋コンクリート造りにし、3階建、一部銅板葺きです。平成16年(2004)に国の登録文化財に指定されています。



明治村名鉄岩倉変電所
めいじむらめいてついわくらへんでんしょ
愛知県犬山市大字内山1 明治村
旧所在地 愛知県岩倉市下本町


 明治村名鉄岩倉変電所は大正元年(1912)に開通した名古屋電気鉄道(現:名古屋鉄道)犬山線の変電所として、 愛知県丹羽郡岩倉町(現:岩倉市)に建てられた建物です。
 建築面積151平方mで、鉄筋コンクリート造り平屋建、スレート葺きです。内部に大きな変電用機械を収容するため、背の高い煉瓦造りになっていました。昭和49年(1974)、明治村移築に際し主構造をRC造に改め、煉瓦タイル貼に変更されました。
 四隅にバットレス(控壁)をもち、開口部は大きめの要石を飾る半円アーチで、欄間を方立で三分割しています。平成16年(2004)に国の登録文化財に指定されています。



明治村内閣文庫
めいじむらないかくぶんこ
愛知県犬山市大字内山1 明治村
旧所在地 東京都千代田区千代田


 明治村内閣文庫は明治44年(1911)、皇居大手門内に建てられた内閣文庫庁舎のうちの本館・事務棟です。内閣文庫は、明治6年(1873)、赤坂離宮内に太政官文庫という名で開設された明治政府の中央図書館でした。設計したのは後に国会議事堂を指揮した大蔵省臨時建築部の大熊喜邦です。
 建築面積292平方mで鉄筋コンクリート造り2階建、スレート葺きで中央にドーム屋根の頂塔が載っています。正面4本の円柱には溝彫り、柱礎、柱頭飾が彫りこまれています。その様式はローマ・ドーリス式ですが、全体的にはルネッサンス調が基本デザインになっています。ペディメント(切妻壁)の中央にはモルタルで塗出されたメダリオンと唐草が大きく浮き出ています。
 内閣文庫は旧徳川幕府ゆかりの書、明治政府が集めた古文書・洋書などを所蔵し、昭和46年(1971)、国立公文書館が設立されるまで、内外の古文書研究家に広く利用されました。平成16年(2004)に国の登録文化財に指定されています。



明治村大明寺聖パウロ教会堂
めいじむらだいみょうじせいパウロきょうかいどう
愛知県犬山市大字内山1 明治村
旧所在地 長崎県伊王島町


 明治村大明寺聖パウロ教会堂は長崎港の入口にある伊王(いおう)島に明治12年(1879)頃、建てられた教会堂です。明治6年(1873)にキリスト教禁教令が解かれていました。長崎の町に建てられた最初の教会は在留外国人のために建設された大浦天主堂(元治元年(1864)竣工、翌年完成)です。
 大明寺聖パウロ教会はフランス人宣教師ブレル神父の指導の下、伊王島の大工大渡伊勢吉によって建てられました。伊勢吉は大浦天主堂の建設にも携わっていました。建築面積は172平方m、木造平屋建、瓦葺きです。正面に切妻の玄関廊をつけ、鐘楼を載せています。
 外観は真壁造りの和風ですが、内部は三廊式のゴシック様式で造られています。身廊正面に祭壇、右側廊の正面にルルドの洞窟が作られています。身廊の天井は漆喰塗のリブヴォールト天井、側廊の天井は竿縁天井を曲面に張っています。平成16年(2004)に国の登録文化財に指定されています。



明治村金沢監獄中央看守所
めいじむらかなざわかんごくちゅうおうかんしゅじょ
愛知県犬山市大字内山1 明治村
旧所在地 石川県金沢市小立野


 明治村金沢監獄中央看守所は明治40年(1907)、金沢市に建てられた金沢監獄の中央看守所、第5舎房の一部を移築した建物です。平成16年(2004)に国の登録文化財に指定されています。
 建築面積は165平方m、八角平面の木造平屋建、瓦葺き、塔屋付です。金沢監獄は八角形の中央看守所を中心に、左右、斜め後方、真後ろに計5棟の監房が建てられていました。中央のガラス張看視室は網走監獄から移設されたものです。
 入口横の梯子を上って屋根裏伝いに頂部の見張塔に行くことができます。見張塔は四角形、四方がガラス建具で造られています。屋根は宝形で四辺軒の中央を折上げ、頂部には棟飾があっります。



明治村菊の世酒蔵
めいじむらきくのよさかぐら
愛知県犬山市大字内山1 明治村
旧所在地 愛知県刈谷市銀座


 明治村菊の世酒蔵は、明治28年(1895)、刈谷の菊廣瀬酒造の仕込み蔵として建てられました。もとは明治の初め三河湾近くの新川(碧南市)に穀物蔵として造られたものを移築したものだということです。
 建築面積は654平方mで、梁間9間(約16m)、桁行18間(約33m)、瓦葺きの土蔵造り2階建です。外壁に厚い土壁を塗り廻した2階建部分と、幅2間(約3.6m)の吹き放ちの庇部分から構成されています。
 大屋根を支える小屋組は、古い民家の形式です。梁間を3等分し、中央の部分を本屋、両側を下屋といい、本屋は背の高い2本の独立柱を立て大梁を架けて鳥居形とし、上に和小屋を組んでいます。平成16年(2004)に国の登録文化財に指定されています。



明治村聖ザビエル天主堂
めいじむらせいざびえるてんしゅどう
愛知県犬山市大字内山1 明治村
旧所在地 京都市中京区河原町三條


 明治村聖ザビエル天主堂は京都の河原町に明治23年(1890)に建てられた聖ザビエル天主堂を昭和48年(1973)に移築した建物です。建物強化のために躯体を煉瓦から鉄筋コンクリートに、モールディングの部分もプレキャストコンクリートに置き換えています。
 建築面積は575平方m、コンクリート造り平屋建、瓦葺きです。ゴシック教会建築が最も完成された13世紀中期のフランスゴシック教会堂の形式に従って造られています。その洗練されたデザインは荘厳で美しいの一言です。
 聖フランシスコ・ザビエルを記念したカトリックの教会堂で、フランス人のビリオン神父が中心になり、設計はパピノ神父、施工は信者で棟梁でもあった横田彦左衛門が担当しました。平成16年(2004)に国の登録文化財に指定されています。



明治村ハワイ移民集会所
めいじむらはわいいみんしゅうかいじょ
愛知県犬山市大字内山1 明治村
旧所在地 アメリカ合衆国ハワイ州ハワイ島ヒロ市


 明治村ハワイ移民集会所はハワイ州ハワイ島ヒロ市に明治22年(1889)頃に建てられ、昭和44年(1969)に明治村に移築された建物です。最初は日本人のための教会でしたが、後、集会所となり、さらに地元新聞社が使い、最後は倉庫として使われました。
 2×4工法が発生する前の工法で、バルーン・フレーム構造というやり方で、日本人牧師岡部次郎によって建てられました。建築面積88平方m、木造平屋建、鉄板葺きです。平成16年(2004)に国の登録文化財に指定されています。
 ハワイ移民集会所のそばに、ぺぺケオ耕地の鐘があります。ハワイ島のぺぺケオで起床や作業開始の時に使われた鐘です。朝4時半に起こされ、10時間働いたそうです。
ぺぺケオ耕地の鐘



明治村森鴎外・夏目漱石住宅
めいじむらもりおうがい・なつめそうせきじゅうたく
愛知県犬山市大字内山1 明治村
旧所在地 東京都文京区千駄木町


 明治村森鴎外・夏目漱石住宅は明治20年(1887)頃、東京千駄木の医学博士・中村襄吉の新居として建てられました。明治23年(1890)森鴎外が借家、一年余りを過ごし、明治36年(1903)から3年間夏目漱石が借りて住みました。
 建坪39坪(129.5u)、寄棟造り、桟瓦葺き、押縁下見板張の建物です。明治時代の伝統的な「田の字型平面」間取りを基本にした一般的な邸宅です。平成15年(2003)に国の登録文化財に指定されています。
 森鴎外はここで「文づかひ」などの小説を書き、夏目漱石は「わが輩は猫である」を書いて、この家の様子を文中で描写しています。漱石の小説にちなみ、書斎の陽だまりには、座布団の上で日光浴をする猫の彫刻が置かれています。



明治村工部省品川硝子製造所
めいじむらこうぶしょうしながわがらすせいぞうしょ
愛知県犬山市大字内山1 明治村
旧所在地 東京都品川区北品川


 明治村工部省品川硝子製造所は明治10年(1877)頃建てられた品川硝子製造所の一部の建物です。明治政府が推進した殖産興業政策の主官庁であった工部省が設立した製造所でした。平成16年(2004)に国の登録文化財に指定されています。
 明治6年(1873)、イギリス人技術者を雇い入れ、品川興業社硝子製造所が開設され、板硝子生産を目標とする事業が始まりました。3年後、工部省がこれを買収し、国策としてのガラス製造・研究を開始した所で、明治初期の官営工場の遺構です。
 建築面積123平方mで、煉瓦造り平屋建、瓦葺きの建物です。開口部は煉瓦積の半円アーチと、石のマグサを渡した方形開口です。室内の片側に板張りの2階床があります。屋根は急勾配の切妻で、洋風真束小屋組、天井は無く、換気用越し屋根が載っています。



明治村鉄道寮新橋工場
めいじむらてつどうりょうしんばしこうじょう
愛知県犬山市大字内山1 明治村
旧所在地 東京都港区新橋


 鉄道寮新橋工場は明治5年(1872)頃に造られた新橋ステンショ(停車場)の中の機関車修復所です。そこには、停車場本屋、乗降場、荷物庫、荷物積所、石炭庫、機関車庫、御雇外国人官舎などもありました。
 日本に鉄道が開業されたのは明治5年(1872)で、新橋と横浜の間でした。開業に先立って、新橋停車場構内に建てられたのです。イギリスで製造された柱、梁、外壁、サッシュなどを使い、プレファブ建築で建てられました。その後、新橋駅構内に多数増設された国産建物の手本となりました。
 建築面積948平方mで、鉄造平屋建、銅板葺きです。並列2棟の切妻屋根は鉄造キングポストトラス小屋組で支持しています。平成16年(2004)に国の登録文化財に指定されています。



明治村歩兵第六聯隊兵舎
めいじむらほへいだいろくれんたいへいしゃ
愛知県犬山市大字内山1 明治村
旧所在地 名古屋市中区二の丸


 明治村歩兵第六聯隊兵舎は、明治6年(1873)に10棟の中隊兵舎が建てられ内の、第十中隊の兵舎の棟を移築したものです。名古屋城内に設けられた鎮台のもとには歩兵聯隊が置かれ、歩兵第六聯隊が編成されていました。
 木造2階建、寄棟造り建物で、当初は桁行50mを超える建物でした。移築時に3分の2に縮めて建てられました。外壁は白漆喰塗の大壁に胴蛇腹を巡らせています。入口はポーチの起り屋根をトスカナ式円柱が支えています。
 構造は大変頑丈で、外側の柱は全て土台から軒に達する太い通し柱になっています。地震にも火災にも強く、断熱性にも優れています。鎮台時代の兵舎建築の遺構で、平成16年(2004)に国の登録文化財に指定されています。



明治村シアトル日系福音教会
めいじむらしあとるにっけいふくいんきょうかい
愛知県犬山市大字内山1 明治村
旧所在地 アメリカ合衆国ワシントン州シアトル市


 明治村シアトル日系福音教会はアメリカ東海岸のシアトルの新興住宅地に明治40年(1907)頃に建てられた建物です。当初はアメリカ人住居でしたが、後に日本人移民が住み、戦後、福音教会として使われました。
 建築面積は96平方mで、木造2階建、寄棟造り、板葺きです。大量生産規格木材で作られていて、プラットフォーム構法(2×4構法)の先駆的な実例です。屋根には地元産のそぎ板を葺き、外壁、床等は全て下地板と仕上げ板の二重張りになっています。
 外壁は2×4を約40cm間隔に建て、捨て板を張って、更に下見板を張ってペンキを塗って仕上げてあります。平成16年(2004)に国の登録文化財に指定されています。



明治村日本赤十字社中央病院病棟
めいじむらにほんせきじゅうじしゃちゅうおうびょういんびょうれん
愛知県犬山市大字内山1 明治村
旧所在地 東京都渋谷区広尾


 明治村日本赤十字社中央病院病棟は皇室から下賜された渋谷の御料地の一部に明治23年(1890)に建設された建物です。西南戦争の際、敵味方の区別なく傷病兵の救護に当たった博愛社が日本赤十字社のはじめで、明治19年(1886)にジュネーブ条約に加盟しました。
 建築面積は285平方mで、木造平屋建、寄棟造り、桟瓦葺きで、棟に換気塔3つが載っています。軒飾を巡らし、外壁はドイツ下見、腰周りにハーフティンバー風の柱型、筋違(すじかい)などを付けています。レンガ基礎を高く積んで高床の建物になっています。
 ドイツのハイデルベルグ大学病院を模して2階建レンガ造で造られた本館を正面に据え、背後中央に大きな中庭を設け、その廻りに病棟を配していました。病棟の端にある便所とともに、平成16年(2004)に国の登録文化財に指定されています。



明治村第四高等学校武術道場無声堂
めいじむらだいしこうとうがっこうぶじゅつどうじょうむせいどう
愛知県犬山市大字内山1 明治村
旧所在地 石川県金沢市仙石町


 明治村第四高等学校武術道場無声堂は大正6年(1917)に完成した第四高等学校(後の金沢大学)の武術道場だった建物です。柔道、剣道、弓道三つの道場を兼ね備えた大きな道場です。
 無声堂主屋は柔道場、剣道場を一体にまとめた木造平屋建で、全長36.4m、棟高9.4m、切妻造り、瓦葺き、建築面積509平方mの建物です。弓道場は木造平屋建、切妻造り、瓦葺き、建築面積72平方mで、主屋とは出入口の土間を通して接続しています。
 柔道場の床の弾力を高めるためスプリングを入れ、剣道場では音の反響を良くするため床下に共鳴用の溝を掘ってあります。無声堂主屋・弓道場ともに、平成16年(2004)に国の登録文化財に指定されています。



明治村学習院長官舎
めいじむらがくしゅういんちょうかんしゃ
愛知県犬山市大字内山1 明治村
旧所在地 東京都豊島区目白


 明治村学習院長官舎は明治42年(1909)学習院が四谷から現在の目白に移され、他の校舎とともにその構内に建設された建物です。当時の学習院長は第十代目で、陸軍大将乃木希典でした。
 学習院は江戸末期に京都で開校しました。東京遷都の後、明治10年(1877)、神田錦町で開学、明治17年(1884)宮内省所管の官立学校となりました。
 長官舎は建築面積180平方m、木造2階建、瓦葺きの和洋折衷住宅です。学習院長という公的な立場での接客や実務には洋館部分を使い、私的な生活には日本座敷を用いたそうです。平成15年(2003)に国の登録文化財に指定されています。



明治村三重県尋常師範学校
・蔵持小学校

めいじむらみえけんじんじょうしはんがっこう・くらもちしょうがっこう
愛知県犬山市大字内山1 明治村
旧所在地 三重県津市


 明治村三重県尋常師範学校・蔵持小学校は明治21年(1888)に津市に師範学校として建立され、その後、名張市の蔵持小学校として移築された建物の、中央棟と翼屋の一部です。
 建築面積365平方m、木造2階建、桟瓦葺きで、外壁は玄関部を漆喰塗で仕上げ、教室部は下見板張になっています。創建時は左右翼屋まで全体の間口が60mもある長大な建物でした。10mを超える軒高、13mを超える棟高がその壮大さの名残りになっています。
 設計は県の技師として三重県庁舎(国指定重要文化財、明治村)などを担当した清水義八です。平成15年(2003)に国の登録文化財に指定されています。



明治村北里研究所本館・医学館
めいじむらきたさとけんきゅうじょほんかん・いがくかん
愛知県犬山市大字内山1 明治村
旧所在地 東京都港区白金


 明治村北里研究所本館・医学館は日本の細菌学の先駆者北里柴三郎が大正4年(1915)に芝白金三光町に建てた建物です。平成15年(2003)に国の登録文化財に指定されています。
 北里柴三郎は帝国大学(現東京大学)で医学を学んだ後、ドイツに留学しました。コッホのもとで細菌学を修め、明治25年(1892)帰国し、福沢諭吉らの援助を得て私立伝染病研究所を設立しました。後に内務省へ移管され、所長として活躍し、ペスト、結核、コレラ、赤痢など伝染病の予防、撲滅に貢献しました。国立伝染病研究所が内務省から文部省に移管された際に辞任し、北里研究所を設立しました。
 北里研究所本館は建築面積360平方mで、木造2階建、スレート葺き(一部銅板葺)、塔屋付です。ドイツバロック風を基調とした洋風建築です。正面車寄せの上方に、急傾斜の妻飾を際立たせ、その後には更に高い中央棟と八角の小塔を付けています。



明治村幸田露伴住宅 蝸牛庵
めいじむらこうだろはんじゅうたく かぎゅうあん
愛知県犬山市大字内山1 明治村
旧所在地 東京都墨田区東向島


 明治村幸田露伴住宅「蝸牛庵」は明治初年、隅田川のほとりに豪商の寮として建てられた建物です。その後、甲州屋雨宮家の持ち家であったものを、幸田露伴が明治30年(1897)から10年間借りています。露伴は「かたつむりの家(蝸牛庵)」と呼び、やどかりのように幾度となく住まいを変えています。
 露伴は坪内逍遥の「小説神髄」に触発され、明治20年(1887)、21歳の時、電信技手をやめました。翌年発表した処女作「禅天魔」が尾崎紅葉の目にとまり文筆の世界に入りました。「風流仏」「対髑髏」「五重塔」などを次々に発表し、紅葉とともに紅露時代として一世を風靡しました。
 蝸牛庵は建築面積120平方mで、木造平屋一部2階建、寄棟造り、桟瓦葺きの建物です。外壁は押縁下見で、玄関、台所、6畳2室の主体部に小さく2階を載せ、10畳座敷部を接続しています。中流住宅の当時を伝える建物で、平成15年(2003)に国の登録文化財に指定されています。



明治村西園寺公望別邸坐漁荘
めいじむらさいおんじきんもちべっていざぎょそう
愛知県犬山市大字内山1 明治村
旧所在地 静岡県静岡市清水興津清見寺町


 明治村西園寺公望別邸坐漁荘は大正9年(1920)建立され、昭和4年(1929)に増築された西園寺公望公爵の隠居のための別邸の建物です。坐漁荘とは「なにもせず、のんびり坐って魚をとって過ごす」という意味があります。
 西園寺公望は明治3年(1870)渡仏し、10年法学を学び、中江兆民らと東洋自由新聞を発刊、廃刊後、政府に入り、憲法調査のため伊藤博文に従って外遊、各国公使を経て、各大臣を歴任しました。明治39年(1906)、政友会を率いて内閣を組織し、平民主義を貫きました。
 建物は木造平屋建一部2階建、入母屋造り、桟瓦葺きで軒先を銅板葺きとしています。外壁は檜皮張で、玄関や広縁付の座敷などに面皮の柱を多用しています。主屋と付属屋は平成15年(2003)に国の登録文化財に指定されています。


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